タイトルと説明文の修正

sinXsansinXsan ✭✭✭
編集済:06/28 タイトルと詳細の変更

現在の名称:鈴木三重吉の歌碑

ポータルの位置:https://intel.ingress.com/intel?ll=34.610258,132.323962&z=17&pll=34.611436,132.322139

修正後の名称:小説「山彦」文学碑(鈴木三重吉文学碑・小宮豊隆撰文)


現在の説明文:

昭和32(1957)年8月28日、加計三重吉顕彰会設置。明治39(1906)年、鈴木三重吉は親友である財産家の加計正文を訪ね、加計家の山荘吉水園(現在、広島県名勝)の吉水亭に一週間ほど滞在した。その後、加計の自然と風土を舞台に第二作となる小説「山彦」を書いた。山彦は漱石が激賞した三重吉作品の一つで、代表作「千鳥」に次ぐものとされる。石碑の上部には三重吉が加計正文に宛てた手紙の一文が書かれ、下部にはドイツ文学者かつ三重吉同様に漱石門下であった小宮豊隆による碑文が刻まれている。小宮は昭和30年10月23日に吉水園を訪れたとあり、三重吉の詩的想像力の豊かさを激賞し、追慕の情を止めることができなかったと書かれている。

修正後の説明文:

昭和32(1957)年8月28日、加計三重吉顕彰会設置。明治39(1906)年、鈴木三重吉は親友である財産家の加計正文を訪ね、加計家の山荘吉水園(現在、広島県名勝)の吉水亭に一週間ほど滞在した。その後、加計の自然と風土を舞台に第二作となる小説「山彦」を書いた。山彦は漱石が激賞した三重吉作品の一つで、代表作「千鳥」に次ぐものとされる。石碑の上段には「山彦」の冒頭部分が、下段にはドイツ文学研究者かつ三重吉同様に漱石門下であった小宮豊隆による碑文が刻まれている。山彦冒頭部分は「城下見にゆこ十三里、炭積んで行こ十三里、と小唄に謡ふといふ十三里を、城下の泊まりから、とぼとぼと、三里は雨に濡れて来た」とある。小宮は昭和30年10月23日に吉水園を訪れ、三重吉の詩的想像力の豊かさを激賞し、追慕の情を止めることができなかったと書かれている。


【以下、修正に関する理由】

こちらのポータルは、児童文学者である鈴木三重吉が明治38年8月27日~9月3日まで滞在し、小説「山彦」の構想を練ったことを、ドイツ文学研究者である小宮豊隆が昭和32年8月28日に述懐したもので、歌碑ではありません。

石碑の拡大画像を貼りますが、この中に「歌」は詠まれていません。

また上段は小説「山彦」からの一節を記しています。


小説「山彦」からの一文が書かれた上段部分

「城下見にゆこ十三里、炭積んで行こ十三里、と小唄に謡ふといふ十三里を、城下の泊まりから、とぼとぼと、三里は雨に濡れて来た。」と、小説「山彦」の冒頭部分が書かれている。


ドイツ文学研究者であり、漱石の門弟であった小宮豊隆が同じく門弟だった鈴木三重吉を述懐して書いた碑文下段。


参考に広島市立図書館HPを添えます。

こちらに上記の石碑が紹介され、小説「山彦」の文学碑であることが書かれています。

上記リンクの右下にある、写真「山彦」文学碑という項目があるので参照ください。

下記のようなサムネイルがあるはずです。


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コメント

  • ポータルの申し立てに関するご連絡ありがとうございます。いただいた内容を調査した結果、ご連絡のポータルの名前と説明文を修正することが決定いたしました。

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