【考察】イングレスのストーリーは何故こんなにわかりにくいのか
まぁ既に何人かの賢人によって語られたテーマですが、あらためて自分の見解など書いてみたく。
このわかりにくさにはいくつかの原因があるように思います。覚えにくく感情移入の要素が少ない登場人物や舞台設定などももちろんですが、イングレス・ストーリー最大の特徴とも言える断片的で不明確なストーリーテリングの進行もそのひとつでしょう。今でこそ漏洩した文書や画像にはP.A.シャポーによっていくらかの解説が付加されていますが、最初期にはそれすら殆どありませんでした。
しかもある文書から浮かび上がった疑問点はいつまでも解消されること無く残り続け、伏線は回収されないままに物語はどんどん進行してしまいます。一般のゲームストーリーでこんなことは滅多にないでしょうし、ここに不満をおぼえる方も多いのではないかと思います。
こう考えてみてください。これは物語ではなく、実際に起きている「未解決事件」なのです。
歴史上、日本国内にも数多くの未解決事件が存在します。その多くは情報が断片的であり、真偽が不明な手がかりも多く、未解決の疑問はいくつもあって、それらが解決してもまた新たな謎が生まれます。そしていくつもの憶測や仮説はあれど、真相はいつまでも闇の中にあるのです。まさに、イングレスのストーリーそのものではありませんか。
どれほどリアリティのある物語が進行しても、すべての伏線が回収され、謎が解明されてすっきりと完結するのであれば、それは「よく出来たフィクション」の枠を超えることはありません。イングレスはストーリーにおいてもその枠を飛び越え、代替現実(AR)を追求しているのではないでしょうか。
私たちが追っているのは「物語」ではなく、「現実」に隠された真実なのです。
その探求に終わりが来ることはきっとないでしょう。それでもその謎に魅入られ、探求を続けているのが私たちインベスティゲイターなのだと思っています。
皆さんはどのようにお考えですか?
コメント
@MailEater の言はまさしくイングレスの在り方を解説したものだね。僕は視点について掘り下げてみよう。
イングレスには、言うなれば「神の座」がない。小説にも叙述トリックというものはあるが、イングレスには事実を語ると信頼されるナレーションもなければ読み手が俯瞰して物事を見ているわけでもない。この神の不在がどうしようもなく物語を意図的に不成立とさせているのだ。
そして、多くのエージェントはまず培ってきた先入観によって騙されていく。あたかも事実を語る進行役であるかに振る舞うシャポーに神の座を錯覚すれば、もう欺瞞と矛盾の世界に転げ落ちてしまうことだろう。彼の言も主観のひとつに過ぎないのに。数多くの主観が交錯する中、誰が事実を隠し、誰が嘘をついているのか。無数に散らばり続けるピースを繋ぎ合わせては矛盾と向き合い、神の座を目指すのがインベスティゲーターだろう。
@SielDragon なるほどなるほど…そういう意味でも極めて現実に近い語られ方なのですね。
それをもどかしく感じるか、憶測を楽しむか。ここにラビットホールへの分岐点があるのかもしれません。
@MailEater 今でこそインベスティゲーターはイングレスの裏側が勧善懲悪の二元論ではないことを知っているね。人の数だけ正義があり、人の数だけ物語があることに。
エージェントが最初に陥るであろう錯誤が、二元論の錯覚だ。スキャナーを開いた瞬間から始まるエンライテンドとレジスタンスの二極化された抗争自体がもうすでに錯誤の罠として働いている。錯誤に囚われたまま読めば、その錯誤を助長する甘美な言葉が並んでいる。
人類は、世界は、錯誤の檻に気づき、その向こう側へ歩み出て共闘する道を選べるのか?
それがイングレスの裏に隠されたテーマなのだと思うよ。
人生は舞台。人はみな役者。
我々は物語という舞台の上で「知らない」ということを演じているのであって、我々の中に真実はすでにあるのだ…(などと韜晦する)。
イングレスにおける錯誤は、ユニバーサル・コミュニケーションへの挑戦というテーマでもある。人類が真に誤解なく分かり合えるのかだ。
それを示す最たるものがシェイパー・グリフやネメシス・グリフといった未知なる言語体系の出現だろうが、それだけではない。イングレスは一見すれば英語という既存言語を用いる人物が多いなかで、様々な自然言語が登場している。近いところではオペレーション・コーランでギリシャ語が登場したし、司アキラといった日本語を話す人物もいた。これらは、自然言語といえどコミュニケーションを阻む一因となる。更には同じくらいに多くの頻度で数式や機械言語も用いられている。イングレスにおいて、コミュニケーションは意図して妨げられている部分もあるわけだ。
こうしたコミュニケーションの障害を乗り越えて究極の意思疎通を目指さねばならないこと、それがイングレスにおける理解の壁として立ちはだかっている。だからこそ、インベスティゲーターとはコミュニケーションの壁を跨ぐ覚悟を持った人々とも言えるんじゃないかな。
だが、僕等の多くはその最初の関門で立ち止まってしまっている。まだ先にある多くの理解すべきコミュニケーション手段に挑む前に。
すなわち、「英語わからねぇ」問題である。
一人の視点で得られるモノには限りがあるから、わからないものはわからない。そもそも解ける謎ばかりではない。現実の世界は正解ばかりではない。Ingressはゲームシステムだけでなく、ストーリーも通していろんなことを提案しているんだと思うのです。
外に出よう!楽しみ方は一つじゃない!一人で出来ることには限りがある!他者と意見を交換しよう!正解は一つじゃないことを受け入れよう!万能じゃなくてもいいんだよ!的な?
とても装飾の多い直方体
私は以前、HOだかTGだかチャットの中でイングレスのストーリーの全体像をこのように形容したことがある。
啓示の夜という大きなストーリーが全体として大きな直方体を形成している。それ自体は一つの固まりとして全体像として変化はないのだけれども、毎日のように提示される細かな描写や情報はサグラダ・ファミリアやシュヴァルの理想宮の彫刻のように「他の何者でもないような、見たことも無い形」でごちゃごちゃと絡み合っている。
一次情報としてのイングレス
この分かりにくさは何に似ているのか。私はこの感触こそが「一次情報に触れる分かりにくさ」なのではないかと感じている。そもそも膨大なログである一次情報というのはまとまりがなく、何にも似ていない。本にされて解説されるという形で我々が目にするときに初めて意味が解釈され、文脈の中で意味として把握できる。
私は大学生の時に本当に不真面目な学生だったので、この訓練をマトモにやってきていないのだけれども、本来普通に暮らしていると我々は私生活で「膨大な一次情報の事例」に触れることはない。これに触れることが出来るのは、職業として現場で働いている人間か、それを研究することを本分とする研究者の立場である。
もちろん、大学にしろシンクタンクにしろそこで研究員としての立場を手に入れるには様々な社会的な試練と選別が待っている。
今、イングレスが提供しているのは、その選別を受けていない者にも「膨大な一次情報」に触れるという体験なのではないか。
と、個人的には思っています。
公式小説2冊買ってAGに貸し出して布教したんだけどなー。だいたいつまらない、全部読めなかった。でした。。。
現実に起こっている事件と同じように能動的に情報を得ることで、新たな事実、事実ともつかない噂、デマゴーグ、さまざまなものが得られる。それを独自に推察する。キャラクターにチャットする、DMする。直接聞く。場合によっては自ら情報の発信を行う。これがingressストーリーの楽しみ方だと思うのです。経過結果のはっきりした小説やドラマのように受動的であっては、何が起こっているかわからないだけなのは当然だと思う。
自らがエージェントとなり、なぞの物質XMに関わる謎を解き明かす。それがネット上で、そしてイベントに参加することでリアルワールドでもできる。それがゲームと一体となったストーリー。
そんな気がして、それで楽しんでる。
本を読むことだけでは得られない楽しみがそこにある。
では前記の本を読んでつまらないと多くのAGが感じたことにどうすればいいか。それはもっとタブロイドでもワイドショーでもいいから下世話な噂や創作を付け足していけばいいとおもうのです。
そうファンアートもそうだ。
公式に関係ないストーリーをきっかけに少しでも興味が持てるのではないだろうか?
男と女 あやつりつられ
対のあげはの 誘い誘われ
心はらはら 舞う夢芝居
恋はいつでも 初舞台
バベルの塔を建てたのが悪いのか小心者の神様が悪いのか問題。
英語も通じぬ文化のだいぶ違う国へ行ってもどうにか通じてしまう。不思議なくらいに意思が通じる。
それって人類史がかつて同じ言葉を喋っていた名残?とか神話レベルの逸話を信じたくなる時があります。犬猫は大変だけど、こうも容易に。
思考停止の原理主義にはならぬ警戒は怠らずに言うならば、神は我々を分裂させ仲違いを目論んだのかもしれぬと。ふと思うのだ。
汎言語は脳の働きなのか、心の働きなのか。
語彙や文法を超越していたら、心の働きを感じるなぁ。
とあるアメリカ映画ダークシティで主人公が「心はいくら頭をいじっても変えられないここにあるのだから」と指し示したのは心臓だった。現在での認識では心臓は筋肉の塊なのだが、何があるんだろうね、そこに。
ストーリーの完成度が高ければゲームや文化、言語を問わず(ストーリーの)強力な支持者が付くと思うんですよね。
これにAGが関わることで行方がインタラクティブに変わるストーリー展開には魅力を感じるところでした。
ですが余りにも具体性に乏しくキャラクターと存在との結びつけも浅い。
アニメを見てもその印象は変わりませんでした。
見方として神の座(Thrones)争いと言う例えは面白い視点だと思いますが、ここでリカースドという一手がでてくるともうお手上げな感が強い。
ということで大枠はポジティブなのに必ずしも発展してると言い難いのは以下3点かな。
ゴールのないストーリーにこそ具体性は不可欠なのでは?と思っています。
// 昨夜スマホからコメントするも一向にapprovedされず諦め、今朝の新規投稿に至りました。二重投稿となったことをお詫びします。
@daiskeh そうです、それこそが私が考える「これはフィクションではなく代替現実」であるということです。
現実に今世界で起きて、日々ニュースで流れてくる事件には必ずしも愛すべきキャラクターは存在しないし、ドラマチックに具体的な展開をするとは限りません。魅力的なキャラクターがいて、わかりやすくドラマチックな展開が常に用意され、神の視点で常に正確な情報が語られていたら、それはもはや「よく出来たフィクション」に過ぎないのです。そして「現実」は映画や小説と違って終わりはなく、ある事件の余波は別の事件を引き起こして続いていきます。イングレスのストーリーは限りなく、現実にこの世界で起きていることに近い伝えられ方をしているのです。
「リカースド」というのはキャラクターのリカージョン(死んでも生まれ変わる)ことを指していますか?これに関しては完全には解明されていないものの一定の法則があると考えられており、都合よくキャラクターがポンポン生まれ変わっているわけではありません。まぁその法則さえも諸説あって、現実に存在する「都市伝説」のように真偽入り乱れた曖昧なものなのですが…。
ですので、私が最初にも書きましたように、通常のゲームストーリーにはこんなことはめったにありません。「よく出来たフィクション」を期待すると肩透かしを食うのです。ゲームそのものを含めて、これが「実際に世界で起きていること」だと考えたほうが自然に飲み込めるのです。
それゆえ、「よく出来たフィクション」を期待する多くのゲームプレーヤーにとってはわかりにくく、「面白くない」と感じさせるのでしょう。一方で実在の未解決事件などに物語性や魅力を感じる一部の人間にとっては、その情報を自ら収集し、想像力と推理力を働かせて読み解くことに楽しみを感じるのだと思います。
もちろんそれは好き嫌いの分かれるところですので、面白くないと思っているものを「楽しめ」とは言えないわけですが。
ここでは「なぜわかりにくいのか」「なぜ面白くないのか」を論じただけで、こういったストーリーテリングの手法がゲームストーリーとして是か非かというのは別の話です。
あくまで私個人は手法としての新しさは感じますし面白いと感じていますが、ゲームストーリーとしてありかなしかと言えば、商業的には「なし」じゃないでしょうかwww
ただ、イングレスは一般的な収益を目的としたゲームとは一線を画すものであり、ナイアンティックにとって様々な意味で実験的な挑戦の場になっています。そういった意味では、通常は受け入れがたく市場にはめったに現れないであろう、こういったコンテンツが世界規模で展開されることは非常に貴重なことだと思っています。